心のありか

思い立ったことを言葉に。

 

このブログも

もうすぐ9ヶ月目に入ります。

途中から気まぐれ更新になりすぎて、

実質の継続期間はもっと短いのでしょうが。

 

 

意気揚々と始めた当初は

「楽しくてしょうがない!」という

いわゆる「ゼロウェイスト・ハイ」の状態でしたが、

 

いろいろなこととバランスを取っていくうちに、

考え方も少しずつ変化していきました。

 

最近、心に響いたのはこちらの言葉。

小池龍之介さんの著書からです。

 

自分が世俗の価値観に染まっていないかのように演出して

悦に入ってしまいますのは、

ただのナルシズムになってしまうということです。

皮肉なことに、

「俗を離れている私ってなんて素敵なの!」という

奇妙な快感にとらわれているという点で、

結局のところそれは自意識のために行われていることであり、

極めて俗っぽいのです。 

 

 いわゆる「オーガニック」とか「自然派」とかの系統に

当てはまることのような気がするのですが。

 

 

そのこと自体がいいとか悪いとかではなく、

満たされない何かを埋めるために、

怒りの対象を見つけて「正しい」を振りかざして、

そして評価されたいと願うその在り方は

ちょっと心がヒリヒリした感じがしてしまうのです。

 

以前の自分も同じでした。

心を閉ざして

自分の中だけで感情を生み、

こねくり回しているのって

なんだかツマラナイ日々。

 

でも

いろいろな人・本・音楽・映像に出会い、

時の流れの力も借りながら

 

いつの間にか

まるで憑き物が取れたような、

風の通り道を見つけたような、

そんな心持ちで日々を過ごせています。

 

命ある時間が終わる時、

その人が「何を成し遂げたか」というよりも

「どう在ったか」ということの方が

ずっとずっと意味があることを知ったからでしょうか。

 

「いい」とか「悪い」とか

あまりジャッジしすぎずに

 

ただただ単純に

「楽しい」とか「いいな」という感情を

あまり騒ぎすぎることなく、

静かに穏やかに持ち続けたいなと思います。

 

くらしはつづくのです。

 

 

 

 

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